【2013年秋:認知症の兆し⑤~書道グループ展と私】
たぶん2013年の秋、母の書道グループ展のときだった。
姉は子供も預ける必要がない歳になっていて、3回目の離婚を父にひどく責められて以来、実家に近寄らなくなっていた。携帯電話も着信拒否にしていたから、その時に両親に関わっていた子供は私一人だった。
母は「必ず来てね。みんな家族とか友達が来るの。手土産持ってきてね」
と私に電話をかけてきた。
「行くよ。皆さんにたくさん配れるよう、焼き菓子を持っていくよ」
と約束していた。
私は15年続いた26歳上の男性との結婚を解消し、2年の独身期間を経て再婚していた。
2人子供もステップファザーと仲良く新しい家で暮らしていた。
その頃から私は、優しくて経済的にも恵まれた夫と安定した暮らしを送れるようになっていた。
私の前の結婚では母にたくさんの心配をかけていたし、その頃の私はひどく貧乏で、それを心配してくれたのは母だけだった。
水しか出ない市営アパートに、父に内緒でガス湯沸かし器を付けてくれたのは母だった。
兄にはお金を、姉には子供の世話を提供するのは良くてもだが、私は父に存在を許されていない人間だった。元々父は私にお金を使いたくない人だった。兄には3人の家庭教師、姉には1人の家庭教師を付けたが、私には参考書を買うことも嫌った。
勘当されて家を出た私は、それ以来実家に戻らなかった。
だから、出産の時もアパートに一人で帰った。退院の時も自分でタクシーを呼んで帰った。そんなときも母は電車に乗って駆け付けてくれた。行くなと激高する父を無視して駆けつけてくれた。
私の子ども達に祖父母らしいことをしてくれる母に何かを返したかった。
私は、この再婚で幸せであることを行動で伝えたかった。
だから私は、母が世間や書道の仲間に見栄を張りたいなら付き合いたかったのだ。
有名な菓子をもって、綺麗な服で母の書道展に行き、母を得意にさせたかった。
2013年当時、私は40歳になっていた。