【2013年秋:認知症の兆し④~両親と兄・姉との関係】

 

 

兄一家と実家が決定的にこじれたのは兄の家が出来上がった時だ。

 

兄が実家に2世帯住宅を建てることなはなかった。

兄が実家から車で20分の場所に家を新築した15年前に、父と喧嘩をした母は、雨の日の夜に兄の家に家出してきたらしい。

 

母は、私が小学生の頃からしょっちゅう家出をする人だった。

不思議と静岡の実家ではなく、父の弟達の家に家出した。

いったん家出をすると2週間位帰ってこなかった。

その間は父と3人の子供達だけで生活した。その時は父がシュンとして元気がなくなり、静かになった。

小学生の頃は、母がいなくなると苦しかったし、心配もした。

行かないでほしいと強く思っていたが、年に数回繰り返されると慣れてくる。

そして中学生の頃には「またか」とあまり心配もしなくなっていた。心配しないというより、感情を鈍麻させて感じないようにできるようになったという感じ。

私が20歳で家を出るまでの間、母の家出は年に2回くらいはあったと思う。

 

25年前、兄が結婚してからは、母は父と喧嘩しては兄の家に行っていたらしい。

「太郎の家はアパートだから泊まれない」

と母は私にボヤいていた。

姉や私の家に来ようという発想は、母にはなかった。

姉は結婚相手が定まらなかったし、私は26歳上の男と15年結婚し、離婚したりしていたから。

 

母が実家を飛び出しては兄の家に行くことを、義姉はずっとがまんしていたようだが、新築した家に来られた雨の夜、義姉は豹変した。

母は数週間泊まるつもりで向ったのだろう。

実際に母は

「これからは太郎の家に泊まれる」

と母は言っていたから。

 

母の突然来訪した日、玄関先で義姉は

「どうして家にくるのよ!このきちがい!」

と絶叫して母を階段から雨のアスファルトに突き飛ばしたらしい。

 

母は

「Y子さん、気が狂ったみたいだった。もう行かない」

と案外冷静に話していた。

その日は珍しくそのまま実家に戻ったらしい。

 

そしてその日以来、両親は兄の家に一度も入ることなく、電話番号も知らされなかった。

そしてその日以降、兄家族との交流はなくなった。