【2019年1月14日 百合子との話し合い】

母は2019年1月8日にそよかぜ系列のグループホームレモンに移動した。

グループホームレモンは空床はあったが、特定の身体疾患と認知症を持った高齢者対象のグループホームで、認知症単独の利用者は受け入れられない施設だった。

2019年1月11日にグループホーム花畑の3日間の体験入所が決まった。

大きな問題が無ければそのまま入所できる流れになった。

クループホームレモンは入院施設のようなグループホームで、レクリエーションなどはなかった。母はほとんど誰とも話さず、「子犬のすべて」というような絵本や塗り絵を与えられていた。そよかぜでは母に3人位の職員が付き添い、女王のように楽しんでいた母だが、しんと静まり返った施設内で、動きもせず、無表情なまま3日間を過ごしていた。

私は連日入所と退所を繰り返しながらも、明るい雰囲気で、朗らかなグループホーム花畑に入所できるのはきっと母にとって安らぎになるのではないかと予想していた。

そして私の予想通り、母は直ぐに花畑に馴染んだ。

三日目には

「私ここにずっといたい。純子、ここにいていい?お金ある?」

としきりに私に確認した。

この頃の母は「夫は死んだ」と話していて、穏やかないたずらっ子のような表情を浮かべるようになっていた。

 

「このまま幸せに暮らしてほしい」

 

私は母の変化をみながら、強くそう願っていた。

 

20歳で家を飛び出してから私は、実家に行く度、暗い空間に引きづられるような気がして怖かった。

現在の私の周りは、真っ白な壁に清潔で大好きな家具と聞きやすい優しい声で満ちている。

勤め先も、たまに行くカフェも、みんなまばゆく優しい。

 

「母はやっとこっち側の世界に来たんだ」

 

暴力と怒声のない世界。

人が優しい世界。

私はそんな風に思っていた。

そよかぜも花畑も、白くて清潔で、優しくて心地いい。

 

私は母が望みそうな、肌触りの良い生地やピンク色、かわいい家具を必死で買い求めた。

私が室内を整えるたびに母は歓喜した。

 

「これは私のパジャマ!可愛いでしょう?あげないからね!」

 

ファブリックやパジャマを、私や姉に無邪気に自慢する母は可愛らしかった。

 

(もういいじゃない…お母さんをこのまま無垢な世界においてあげて…お父さんがお母さんを欲しがっても私はお母さんにここに居てほしい…)

 

この頃の父は狂ったように母を探し回るだけではなく、「淑子がしていたことをする」と言いながら、遠方のスーパーに徒歩でいって物干し竿を買って担いで帰ってきたリ、寒い中薄着で出歩いたりしていた。

父の中では辛い行動を耐えている人に同情するという感覚だったようだが、相変わらず的が外れていた。

 

(落ち着いて静かに暮らすという意味は最期まで理解できない人なんだな)

 

私にとっては父がアピールをすればするほど、父に母は預けられないことが立証されていくようだった。

 

だが私とは全く視点が違う兄はどんどんかたくなになり

「施設入所には反対する。自分は介護はしない。契約もしない。何もしないけど母を実家に戻せ。親父がかわいそうだ」と姉を介して伝えてきた。

 

私は1月14日、グループホーム花畑の契約書をもって姉に会いに行った。

私は姉に伝えたいことを文書にまとめていった。

 

 

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                              2019年1月14日 ○○純子

①母:北山淑子ついて

・母の介護・見守りを百合子と1年交代で行いたい。

・『花畑ハウス』の契約者・身元引受人を百合子と分担して担いたい。

・母が認知症の進行を見ながら適切な時期に成年後見制度申立を行いたい。(介護度3程度?)

⇒「成年後年人」申立(専門職後見、最低でも月2万の報酬、しかしすべての身上監護と経理をしてもらえる)

 

 

②母:北山淑子の介護において心配している点

・父が亡くなった後、母の遺族年金受給の手続き

⇒「死亡届」「年金番号がわかるもの:両親』が必要。行政書士司法書士に依頼?成年後見人が選任されていれば後見人が当然事務として行うと予想される。

・父が亡くなった後、母の相続

⇒成年後年人がいれば、母の代理として権利を主張するので問題ない。

 

 

③父:北山太平に行うこと

・何もしない。訪問・電話・各行政からの連絡・引き取り依頼、一切拒否。

⇒理由:

❶自分の生活+母の事で、自分の精神的許容量は限度である。父の事も担う事は、自分の心身や生活を危うくし、現実的ではない為、一切拒否する。

❷一切拒否する理由のもう一つは、家族が介護を担う姿勢を見せると、行政は一斉に手を引くからである。父は認知症もなく、判断能力もあるため、家族が何もしてくれないから仕方ない、と行政が中心にケアしてもらう方が効率的だと判断している(他者との関わりの方が興奮せず動く性質でもあるため。ちなみに、家族に扶養義務はあっても介護義務はない)

❸年金が月22万円ある。預貯金がなくとも、必要があれば施設入所可能であるため。

・相続は、法定相続を主張する。

・話し合いの場にはすべて代理人を立てる。

 

④兄:北山太一との関わり

・直接連絡は行わない。必要な連絡は全て代理人をたてる。

⇒理由:自分の生活+母の事、で自分の精神的許容量は限度である。今回、兄の対応に非常な精神的苦痛を覚え、日常生活と仕事に支障を来したため、今後直接的な関わりを持たない。

 

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私から手渡された文書を見た姉は、驚きながら、

「話し合えないの?」

と私に訊いた。義理兄は

「兄弟は仲良く暮らすべきじゃないですか?」

と言った。

「ごめんなさい。普通の家庭はそうでしょう。でも北山の家はそうじゃない。お姉さんは分かってるんでしょう?」

私は義理兄の問いには答えず姉を見た。

姉は振り絞るように話しだした。

「私はね、中学生の頃から何回も死のうとしてて、そのたびにお母さんが止めてくれて…。お母さん、一緒に逃げようよ、この家から出よう、離婚しようっていったらね、お母さんは子供たちが大きくなるまではここにいるって…兄弟仲良くしてねって言ってたから…」

姉は泣いていた。

私は姉がひどく父に虐められていたことも知っていたが、見てみぬふりをしていたと思う。私は子供だったし、細かな姉や母の状況は知らなかった。

姉の痛みは大きくても、情を指針には出来なかった。時間的な猶予はなかった。

 

「話し合いはもう私には無理。精神的にも体力的にも限界。だけど、私はお母さんを一人の女性として、DVから逃げ出した勇気がある女性として守りたい。そうじゃなかったら私は何のためにこの仕事をしてるのか、私は自分を許せなくなる。私はお父さんは嫌いじゃない。今も好き。でもね、こうしなきゃ収まらないと思うの。父と兄に一生会わないという覚悟はしてきた」

私は姉に、兄に送るつもりの内容証明郵便の原案を見せた。

「ここまでやる。いざとなったら裁判もする。内容証明に効力はないけれど、脅しかもしれないけれど、やる」

 

姉は絶句しながらも

「数日中に兄と話し合いをしてくる。だから少し待って」

と私に条件を出した。

私はそれを了承した。

 

翌日、姉は兄と話し合いをした。

兄は父と喧嘩をして、実家の出入りもしなくなっていた。

姉と義理兄と話し合いの途中で、兄は

「みんなキチガイだ。俺は一切かかわらない。何にもしない。どうでもいい」

と言いながら帰ったという。

 

それをきいた私は予定通り内容証明郵便を送付した。

『絶対に関わりたくない』と強く思ってもらいたかった。

母の生活を揺るがす行為をしないでほしかった。