【母は元気に暮らしています】

 

2019年1月11日、母は無事『グループホーム花畑』に入所しました。

花いっぱいの、園芸療法をする、熱心な素敵な施設です。

母はすぐ大好きになり、元気いっぱいになりました。

 

 入所当初は警察署も色々心配していたけれど、施設だからと安心していました。

 

内容証明に対して兄は無反応でした。

とことん私が嫌いになったと思います。

後悔はしてません。いざとなったら裁判もします。

 

実は、花畑は実家最寄り駅すぐそばです。

徒歩30分圏内です。

「もしかしたら、そよかぜにしたように父がストーキングするのではないか?」

と危惧していましたが、父は自分で花畑に来ることはありませんでした。

父は来なかったけど、友人知人を花畑に訪問させました。

施設から相談がありましたが、一切「そういう人はいない」で通してもらいました。

ここ5年の母は、訪問した友人知人に虐めらえていると気に病んでいました。

たぶん認知症からおかしな行動をとり、色んなことを言われたのだと思います。

もちろん、その方たちに非はありません。

でも母は私と姉を覚えていられるのがやっとの状態なのです。

父に居場所を知らせる危険、母の病状を触れ回られる危険。

私は母が楽しめない交流なら必要ないと判断しました。

 

そうこうしながらも、5月、偶然に父は歯医者で母に会いました。

職員から聞きました。

かなりの至近距離で父の顔を見た母は、一切動揺することなく、全く父が分からなかったそうです。

父は職員に名を名乗りながらも、そのまま歯医者を後にしたそうです。

 

それ以来、父は母を追いかけなくなりました。

なんだか拍子抜けですか、安心ではあります。

「お前の愛情はそんなもんか?愛する女が認知症になったら要らなくなったんか!」

と私は怒鳴ってやりたい気持ちもありますが、そんなものなのでしょう。

 

愛は不思議です。色んな愛のカタチがあります。

 

母はずっと静岡の話をしています。

6月、姉は無理をおして母を静岡に連れていきました。

私は内心心配していましたが、私だけの母ではありません。

姉の好きなようにと思いました。姉も看護師で助産師です。医療面の面倒は完璧ですし。

静岡についた母は「ここが私の実家?」と繰り返していたそうです。

大好きな静岡銀行の話をして、かわいがってた姪に会って嬉しがっていても、叔父や親せきが死んだ話を聞いて「もう帰る」と言って怒ったそうです。

行きたがっていた富士山にいくのも拒み、「早く帰りたい!」と言っていたと姉が伝えてきました。

 

母の行きたかった静岡の実家は、きっと母の心の中にしかなかったんでしょう。

今も変わらずあればいいな、と思います。母の心に幸せな場所がそのまま。

 

父に対する思いも日に日に変わっているようで、

「夫はいたけど、悪いことしたから一人で山にいる」

「夫は山にいる。この間会いに行った。山のくらい洞穴に住んでるんだよ。あそこ(花畑)にいていい?と訊いたらお前はそこに行けって言ってくれた。泣いてたけど知らない。一人で畑してるから大丈夫でしょ。だって私は山で暮らしたくないもん」

「顔がね、どうしても思い出せないの。おもいだしたいようなきもするんだけどね…」

外出先や、不安になった時、夫の存在を思い出すようです。

母の言う山には、昔の楽しい思い出や、父という存在などが押し込まれてるブラックホールのようです。母がそれで安心するのなら、私も母が処理出来ない複雑な思いは富士山に預けておきたいと思ってます。

母にとって夫は「外的や不安から守ってくれる人」だったのかなと思います。

守ってくれるから、暴力も怒声も我慢していたのかなと。

 

母の中にも夫に対する思いはあって、それは悪い思い出だけじゃなく、いい思い出もあるのでしょう。それは素敵な事です。そっとしておきたいと思っています。

 

ただ、父には母の病気を理解することができず、父は暴力を振るうから一緒にさせられない。それだけのことなのです。

 

どうやら、今の母にとっては、私が夫の代わりのようです。

母が望むように。私の希望はそれだけです。

そのためなら鬼でも蛇にもなります。

そのくらいの力と覚悟はあります。

残念ながら笑笑。

 

花畑に入所してからも多少は色々ありますが、Twitterで見てくれている人は心配してくれてると思いますが、出来る限り、このまま、母が居たい花畑で、大切にされながら暮らすことを、私なりに応援していきたいと思います。

 

6月13日から約2か月半、つたない文章にお付き合いくださりまして誠にありがとうございました。

 

また時々書きに来ます。

書けて良かったです。

今後ともよろしくお願いします。

【2019年1月14日 内容証明郵便】

平成31年1月○日

 

 

千葉県○○市○○○

北山 太一様

 

 

                     千葉県○○市○○

                     X丁目X番XX号

                      ○○純子 印

 

 

 母・北山淑子の介護に関し、下記の内容について同意を賜りたいと存じます。異論がある場合には、本書面到達後30日以内に、書留にて返信いただきますようお願い致します。

 なお、下記の内容については、長女・○○百合子の同意を得ていることを申し添えます。

 

            記

 

1.長男・北山太一は、長女・○○百合子及び次女・○○純子に対し、母・北山淑子の介護についての一切を委任します。長女・○○百合子及び次女・○○純子は、相互に協力して母・北山淑子の介護を行うこととします。

2.長男・北山太一、長女・○○百合子及び次女○○純子並びに各々の家族は、母・北山淑子の居所について父・北山太平に伝えないこと、また、父・北山太平を連れて母・北山淑子の居所に行かないことに同意します。

 

以上

【2019年1月14日 百合子との話し合い】

母は2019年1月8日にそよかぜ系列のグループホームレモンに移動した。

グループホームレモンは空床はあったが、特定の身体疾患と認知症を持った高齢者対象のグループホームで、認知症単独の利用者は受け入れられない施設だった。

2019年1月11日にグループホーム花畑の3日間の体験入所が決まった。

大きな問題が無ければそのまま入所できる流れになった。

クループホームレモンは入院施設のようなグループホームで、レクリエーションなどはなかった。母はほとんど誰とも話さず、「子犬のすべて」というような絵本や塗り絵を与えられていた。そよかぜでは母に3人位の職員が付き添い、女王のように楽しんでいた母だが、しんと静まり返った施設内で、動きもせず、無表情なまま3日間を過ごしていた。

私は連日入所と退所を繰り返しながらも、明るい雰囲気で、朗らかなグループホーム花畑に入所できるのはきっと母にとって安らぎになるのではないかと予想していた。

そして私の予想通り、母は直ぐに花畑に馴染んだ。

三日目には

「私ここにずっといたい。純子、ここにいていい?お金ある?」

としきりに私に確認した。

この頃の母は「夫は死んだ」と話していて、穏やかないたずらっ子のような表情を浮かべるようになっていた。

 

「このまま幸せに暮らしてほしい」

 

私は母の変化をみながら、強くそう願っていた。

 

20歳で家を飛び出してから私は、実家に行く度、暗い空間に引きづられるような気がして怖かった。

現在の私の周りは、真っ白な壁に清潔で大好きな家具と聞きやすい優しい声で満ちている。

勤め先も、たまに行くカフェも、みんなまばゆく優しい。

 

「母はやっとこっち側の世界に来たんだ」

 

暴力と怒声のない世界。

人が優しい世界。

私はそんな風に思っていた。

そよかぜも花畑も、白くて清潔で、優しくて心地いい。

 

私は母が望みそうな、肌触りの良い生地やピンク色、かわいい家具を必死で買い求めた。

私が室内を整えるたびに母は歓喜した。

 

「これは私のパジャマ!可愛いでしょう?あげないからね!」

 

ファブリックやパジャマを、私や姉に無邪気に自慢する母は可愛らしかった。

 

(もういいじゃない…お母さんをこのまま無垢な世界においてあげて…お父さんがお母さんを欲しがっても私はお母さんにここに居てほしい…)

 

この頃の父は狂ったように母を探し回るだけではなく、「淑子がしていたことをする」と言いながら、遠方のスーパーに徒歩でいって物干し竿を買って担いで帰ってきたリ、寒い中薄着で出歩いたりしていた。

父の中では辛い行動を耐えている人に同情するという感覚だったようだが、相変わらず的が外れていた。

 

(落ち着いて静かに暮らすという意味は最期まで理解できない人なんだな)

 

私にとっては父がアピールをすればするほど、父に母は預けられないことが立証されていくようだった。

 

だが私とは全く視点が違う兄はどんどんかたくなになり

「施設入所には反対する。自分は介護はしない。契約もしない。何もしないけど母を実家に戻せ。親父がかわいそうだ」と姉を介して伝えてきた。

 

私は1月14日、グループホーム花畑の契約書をもって姉に会いに行った。

私は姉に伝えたいことを文書にまとめていった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                              2019年1月14日 ○○純子

①母:北山淑子ついて

・母の介護・見守りを百合子と1年交代で行いたい。

・『花畑ハウス』の契約者・身元引受人を百合子と分担して担いたい。

・母が認知症の進行を見ながら適切な時期に成年後見制度申立を行いたい。(介護度3程度?)

⇒「成年後年人」申立(専門職後見、最低でも月2万の報酬、しかしすべての身上監護と経理をしてもらえる)

 

 

②母:北山淑子の介護において心配している点

・父が亡くなった後、母の遺族年金受給の手続き

⇒「死亡届」「年金番号がわかるもの:両親』が必要。行政書士司法書士に依頼?成年後見人が選任されていれば後見人が当然事務として行うと予想される。

・父が亡くなった後、母の相続

⇒成年後年人がいれば、母の代理として権利を主張するので問題ない。

 

 

③父:北山太平に行うこと

・何もしない。訪問・電話・各行政からの連絡・引き取り依頼、一切拒否。

⇒理由:

❶自分の生活+母の事で、自分の精神的許容量は限度である。父の事も担う事は、自分の心身や生活を危うくし、現実的ではない為、一切拒否する。

❷一切拒否する理由のもう一つは、家族が介護を担う姿勢を見せると、行政は一斉に手を引くからである。父は認知症もなく、判断能力もあるため、家族が何もしてくれないから仕方ない、と行政が中心にケアしてもらう方が効率的だと判断している(他者との関わりの方が興奮せず動く性質でもあるため。ちなみに、家族に扶養義務はあっても介護義務はない)

❸年金が月22万円ある。預貯金がなくとも、必要があれば施設入所可能であるため。

・相続は、法定相続を主張する。

・話し合いの場にはすべて代理人を立てる。

 

④兄:北山太一との関わり

・直接連絡は行わない。必要な連絡は全て代理人をたてる。

⇒理由:自分の生活+母の事、で自分の精神的許容量は限度である。今回、兄の対応に非常な精神的苦痛を覚え、日常生活と仕事に支障を来したため、今後直接的な関わりを持たない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私から手渡された文書を見た姉は、驚きながら、

「話し合えないの?」

と私に訊いた。義理兄は

「兄弟は仲良く暮らすべきじゃないですか?」

と言った。

「ごめんなさい。普通の家庭はそうでしょう。でも北山の家はそうじゃない。お姉さんは分かってるんでしょう?」

私は義理兄の問いには答えず姉を見た。

姉は振り絞るように話しだした。

「私はね、中学生の頃から何回も死のうとしてて、そのたびにお母さんが止めてくれて…。お母さん、一緒に逃げようよ、この家から出よう、離婚しようっていったらね、お母さんは子供たちが大きくなるまではここにいるって…兄弟仲良くしてねって言ってたから…」

姉は泣いていた。

私は姉がひどく父に虐められていたことも知っていたが、見てみぬふりをしていたと思う。私は子供だったし、細かな姉や母の状況は知らなかった。

姉の痛みは大きくても、情を指針には出来なかった。時間的な猶予はなかった。

 

「話し合いはもう私には無理。精神的にも体力的にも限界。だけど、私はお母さんを一人の女性として、DVから逃げ出した勇気がある女性として守りたい。そうじゃなかったら私は何のためにこの仕事をしてるのか、私は自分を許せなくなる。私はお父さんは嫌いじゃない。今も好き。でもね、こうしなきゃ収まらないと思うの。父と兄に一生会わないという覚悟はしてきた」

私は姉に、兄に送るつもりの内容証明郵便の原案を見せた。

「ここまでやる。いざとなったら裁判もする。内容証明に効力はないけれど、脅しかもしれないけれど、やる」

 

姉は絶句しながらも

「数日中に兄と話し合いをしてくる。だから少し待って」

と私に条件を出した。

私はそれを了承した。

 

翌日、姉は兄と話し合いをした。

兄は父と喧嘩をして、実家の出入りもしなくなっていた。

姉と義理兄と話し合いの途中で、兄は

「みんなキチガイだ。俺は一切かかわらない。何にもしない。どうでもいい」

と言いながら帰ったという。

 

それをきいた私は予定通り内容証明郵便を送付した。

『絶対に関わりたくない』と強く思ってもらいたかった。

母の生活を揺るがす行為をしないでほしかった。

【2018年12月22日~2019年1月14日② 太一・百合子とのメール】

 

 

2018年12月27日(木)純子⇒太一、百合子

『まだまだ先の話ですが、参考まで 母の認知症は日内変動が激しくて、なかなか先の感情が予見できません。薬を変えたところなので、このままBPSDが鎮静してくれれば、有料老人ホーム→花畑ハウスの流れもあり予算にも収まるかと思います。 が、なかなか鎮静しない場合、かかりつけ系列の病院や老健グループホームを適宜利用しながら、BPSDの消失を待つ感じになるのかとも思います。どこも受け入れを嫌がると思うので、かかりつけ系病院列から出ない方が良いということになると思います。その場合は、年60万なり、父から母へ分配してもらった方がお金の面で安全かと思います。 なので、有料老人ホーム契約の際、例えば、かかりつけ系病院系列のグループホーム待機したい等も申し伝えておくと、この先の選択肢が増えていくかと思っています。 選択肢を失くさないために、明日、予定通り、花畑ハウスの見学と仮申し込みはしてきます。』

 

 

2018年12月28日(金)純子⇒太一、百合子

『北山太一さま、○○百合子さま 本日、『そよかぜ』と『グループホーム花畑ハウス』に行ってきました。 ①母はかなり落ち着いていて楽しそうでした。みんなとレクレーションをしていました。興奮したのは12月24日の日中のみ、それ以外は落ち着いているそうです。『ずっとここにいる』と話していました。薬の力もあるのかなと思います。一日病院付き添いをしてくれたおかげだと思います。 ②『そよかぜ』の管理者野原さんと話しました。『次の施設が決まるまで、居て大丈夫です』と言っていました。2月3月くらいまで考えてくれています。 ③『花畑ハウス』、駅前です。とてもいいところでした。新ユニット増設のため、入りやすい状況です。施設は綺麗で職員さんもアットホームで、お金も全て口座振替です。また、受診付き添いもしてくれます。状況を話し仮申し込みをしました。かなり前向きに検討していただけそうです。返事は1月中にもらえます。 ④『花畑ハウス』一割負担なら月15万で予算内です。一時金は15万ですが、返してくれるとのことです。 有料老人ホームの場合、必要な介護を付けると月25万、一時金30万です。 以上の点を総合して考えると、次が決まるまで『そよかぜ』→『花畑ハウス』の返事待ち→ダメなら有料老人ホーム等の施設、という流れが良いのではないかと考えています。 もし太一さん、百合子さんが良ければ、『花畑ハウス』が決まるようであれば、入所に関する所用や手続きが多くなると思うので、2019年を私が担当させていただければと思ってます。 いかがでしょうか? ○○純子』

 

同日、百合子⇒純子へ返信

『ありがとうございます。そよかぜにもう少し居られるのならそれに越したことはないと思います。 ネットで見た限り花畑ハウスは理想的だと思いますのでそこに入れれば一番良いと思います。 専門家の純子が2019年を担当してくれると私も兄も安心だと思います。 明日の有料老人ホームは見学だけという形にしてきます。 ありがとうございます。』

 

同日、純子⇒百合子返信

『 ありがとうございます。 では、次の施設が決まるまでそよかぜとの連絡調整も行います。 よろしくお願いします。』

 

同日、百合子⇒純子返信

『 今、お兄ちゃんと電話で話したんだけどお兄ちゃんはこのメッセージ、まったく読んでないらしいです💦お兄ちゃんはお父さんのことがとても心配みたいです。担当変更の件も伝えましたが「う〜ん」という感じでした。純子からお兄ちゃんに直接、状況説明が必要かと思いますので電話してあげてください。宜しくお願いします。 』

 

同日、純子⇒百合子返信

『わかりました。まだ仕事帰りの出先で、あと15分くらいで電話します 』

『今、兄さんと話し終わりました。母の介護の必要性と、施設料金、今後の流れについて説明し、了解してもらいました。 兄さんはしきりに父の心配をしていました。私に父のケアをして欲しいのかな?という感じでしたが、いま私には無理ですと伝えました。 2019担当変更は了解してくれました。 12月31日に通帳受け渡しの予定です。兄さんが、父から預かった現金額が20万じゃない等言っていたので、確認して受け取ります。 私が2019母の担当するので、諸経費はレシート郵送してくれたら、所定講座に振り込むことも出来ます。(高速料金はレシートなしでも支出していいと思います。ガソリン代は燃費✖️走行距離の実費計算で請求してください) よろしくお願いします。』

 

2018年12月30日(日)純子⇒太一、百合子

『今日の報告 朝8時、父に大晦日迎えに行かない旨を伝えたら、最初は普通の受け答えだったのですが、途中から泣き叫び、約束してたのに!と大騒ぎでした。母の精神安定のため、と言っても全く話を聞かず、顔が見たいと言うので、写真を送ると提案したのですが、さらに逆上し、直接会いたい、俺にも考えがある!!とのこと。 警察署生活安全課ミムラさんに相談したところ、虐待事案で継続ケースになっており、市高齢福祉課も対応中なんだそうです。父に母を絶対に会わせてはダメ、純子の自宅に来ても、警察通報し警察官立会いのもと話をするように、との指導でした。そよかぜにも警察署からもそういう指導が行っているとのことです。 明日、兄には会う予定なので上記の説明をします。百合子さんには、取り急ぎご報告をさせていただきます。 』

 

2019年1月1日(火)純子⇒太一・百合子

『報告 北山太一さま、○○百合子さま 母は大晦日と元旦の昼、予定通り純子の家で楽しそうに過ごしました。静岡の家は空っぽだけど見に行きたい、ひとりぼっちなんだよ私、など、静岡の話中心でした。市内で過ごした記憶は、子供達の存在以外、すっぽり抜けていました。母自身は明るく笑い、よく食べてよく寝ました。本日14時.そよかぜに戻りました。 母は、1月8日から次の施設が決まるまで、グループホームレモンで過ごすことになりました。 本日17時.そよかぜ管理者野原さんから純子に電話あり、本日13時ころ、父がそよかぜの周りをうろついており、職員さんが声をかけたところ『淑子はどこですか』と言ったとのこと。『娘さんの家に行きました』と答えたとのことです。(12月31日、警察署に電話相談した際に、担当者が予想した通りの展開になってます)警察署生活安全課からの注意もあるため、またうろついていたら警察通報していただくようお願いしました。施設にご迷惑をおかけする事態になりかねないと思います。 母の今後については、1月4日以降、私の仕事の合間を見つけて、市役所高齢福祉課で面接相談をしてこようと思っています。その際には、父が施設の周りをうろついていたことも伝えておくつもりです。 ○○純子』

 

2019年1月6日(日)百合子⇒純子

『今日、お父さんとお母さんのところに行ってきました。お父さんは意外ときちんと生活出来ているようで安心しました。お父さんもお母さんから鍋のお湯を頭からかけられたり蹴られたり、夜中に外に出て行っちゃったお母さんを探したりいろいろあったんだなぁと思いました。お母さんのことは心配だけど会いに行くことはもうしないと言っていました。 お母さんは元気そうで、楽しそうに過ごしていました。そよかぜの職員さんにも慣れて来たみたいで安心しました。このままそよかぜに居られるように検討してくれてるらしいですね。よかったです。 純子さんとお兄ちゃんに任せっぱなしで申し訳ないのですが出来るだけ時間を見つけて2人の様子を見に行けるようにしたいと思います。宜しくお願いします。 』

 

2019年1月7日(月)純子⇒百合子

『すいませんが、13日か14日で空いてる時間があれば、両親のことで、兄弟で話し合いがしたいのですが、お時間はありますか? 昨年末より市役所や警察に、私が継続相談しています。今日、市内警察署が兄さんに電話をしたところ、兄さんの、父に母を合わせたい、一緒に暮らさせたいという思いは強いようなので、家族で話し合ってくださいと、私のところに電話が来ました。 兄さんが両親の世話一切をしてくれるなら、私はもう何も言いません。ただ、この先どんな連絡がどこから来ても、私は金輪際、北山の家には一切関わりません。 私が母の担当をするなら、母の居場所を父に知らせたり、会わせたりしないと約束してくれないと困ります。担当出来ません。 感情的な内容で申し訳ありませんが、もう、0か100かみたいな決め方をしないと、どうにもならないと思いました。 日程調整の程、よろしくお願いします ○○純子』

 

【2018年12月22日~2019年1月14日① 補足】

 

 

この間の私は通常通り仕事しながら母のソーシャルワークをしていた。

記録に書いた以外にも、有料老人ホームの資料集めや見学をしていた。資料はネットと電話で集めた。見学は5分みれば判断可能だ。

 

この間は北山家の二女というより、専門職として動いていた。

家族として感情を込みで動いていたら私は壊れただろう。

でも私はプロだ。

 

これまでも、ただ暴力を容認してきたわけではない。

枠組みを作り注意と予告し、そこを守れなかったら予告通りの行動をする。段階を踏み、最終的にこうなった。

 

私が疲弊しながらも実家に通い詰め、世間から両親の暴力を隠すという方法もあっただろう。

しかしそれは何も解決しない。

「底落ち」という言葉がある。困る主体を周囲の人から本人達に返す。

本来は底落ちさせるべきではない。でもそこから動くしか方法が見つからなかった。

 

留意していたのは、個人・社会・環境・を複合的に支援していく事。

無駄な議論はしないこと。

文書でのやり取りを基本とし、裁判も考慮して動くこと。

 

丁寧な話し合いや時間をかけた相談は、通常の家庭や虐待のない状態であればできただろう。しかし時間もなく、私の精神的な健康状態も確保できない状態での支援は、必要外の消耗は避けねばならなかった。

 

12月24日、母のBPSDでそよかぜ向かい、話し合った頃から、兄は『母を父のもとに返す』ことを壊れたレコードのように繰り返すようになっていた。

12月22日の話し合いの時に年単位での介護を提案した時も、兄は『報酬』について粘った。私は成年後見人の報酬に倣い、その2分の一を提案したが、「もっと欲しい」と繰り返しつぶやいていた。また、父から預かった20万も数日で使い切ってしまい、領収書もなく「別に領収書なんかなくていいよな」と電話で言ってきていた。

兄は収入に見合わない車に乗り、若い子のようにカスタムしていた。

洋服はこの田舎に似合わない、俳優のような格好だ。とても50半ばには見えない外見で、私より歳下に見えた。

「相変わらずお金使いが荒いんだな」

私は特に兄に対して父から預かった現金20万について言及することはしなかったが、「このまま兄は介護サービスを拒否するのではないか」と危惧していた。

兄の中で感情は整理されてはいないだろうが、親のお金が欲しい家族ほど介護サービスを否定する。かといって自分で介護をするわけではない。

別に珍しいことではない。認知症の親を家の一室に押し込めて、「出てくんな!」「うるせーぞ!」と怒鳴るだけの家族もいる。でも私にそれは出来なかった。

お金もでも出さない。契約も判断もしない。もちろん介護もしない。今後、反対だけするのではないかという不安。

ほどなくしてそれは現実になった。

 

兄の言うように、母を父のところに戻すことも可能だったかもしれない。

だが、必ず警察沙汰は繰り返されたと私は予想する。父は刃物を持ち出すのが好きだ。私の子供の頃からそうだった。

母の認知症が進み、自分の呼び出し通りに子供たちが来ないと立腹し興奮した父が、得意の刃物を振り回し、母と自分を刺す光景は容易に想像できた。

「身体も精神も判断能力も低下した父が、愛してるとか言いながら、感情的になって、母と心中騒ぎを起こす、または実行する」

私はまだ現実になってないことを心配した。

 

しかし現実になってからでは遅いのだ。

 

2018年12月28日からは、私は父・兄・姉と電話で直接会話をしない事に決めた。

私自身が精神的に限界が来ていたことと、父や兄に私に対して壊れたレコードのように主張を繰り返させないためだ。

私への電話は携帯電話でも夫が出た。

彼らは夫に対してブロークンレコードができなかった。

「純子はふせっています。私が代理人です。私が話を伺い、内容を伝え、返事が必要な事は純子からショートメールします」

夫はそれだけを伝えた。

しかし、姉とはショートメールで連絡が取れたが、兄は無理だった。

兄はショートメールが読めなかった。

ショートメールを送ることも出来なかった。

地域包括からの連絡も兄に行く体制になっていたが、其のたびに兄は混乱し、内容は正確ではなく、大騒ぎをして各所に電話をしていた。

兄は社会的な能力や知的能力が低い様子だった。

「このままでは後手に回る」

と考えた私は、2018年12月28日に、兄姉にメールで2019年の介護担当を申し出た。

 

姉は快諾し、兄は渋った。介護はしたくないが施設契約もしたくないと言ってたいらしい。

 

しかし、私が夫に頼み

「純子が「施設入所しないなら私は今後一切北山の家の介護に関わらない。連絡も一切拒否する」と話しています。どうしますか?」

と電話で話すと、兄は渋々承諾した。

2018年12月31日には通帳の受け渡しも行った。夫が同行した。兄は中々通帳を手放さなかった。

 

【2019年1月6日~1月8日 純子の記録③】

平成31年1月6日

8:30、『華畑ハウス』管理者に純子から電話をかけ、体験入所の日を打ち合わせた。1月11日午後入所予定となった。8:40、『そよかぜ』管理者野原氏に純子が入電、事情を伝え、1/11まで『そよかぜ』に淑子を置いてくれるように頼んだ。淑子の状態はとても落ち着いていて、分別も付くまでになったとのこと。

10:00百合子より純子にメールと入電。百合子が両親に会いに行った報告を受けた。淑子はとても落ち着き楽しそうに過ごしていた。父はもう会いに行かないと話していたとのことだった。情報の共有と、今後の支援について【淑子・父は別々に安定した生活を営んでもらうようにする】同意した。

平成31年1月7日

①8:30、純子が警察署に相談(淑子が落ち着いていること、父が施設周りをうろつくこと、しかし兄太一は父に母を会わせたいという想いがあり、新しい施設が決まりそうだが、会わせたり居場所を教えたりしそうなので注意してほしいと依頼した。(また施設で問題を起こすと、入所先もなくなるため)ヤギシタ氏は了承した。

②13:30、市内警察署ヤギシタ氏から返答「太一さんととらえている状況の食い違い。太一の言い分は「父は淑子に戻って来てもらいたい、父は涙ながらに訴えている、威圧的に言っていない」という話。淑子さんの意見を尊重すべきですよといった。しかし太一は「何としても奪還するような感じではない」と。同じような繰り返しになるから居場所教えないように説得しようてゃしたけど、今後の2人については兄弟で話し合って決めてほしい。太一へも家族ぐるみで話してくださいと伝えた。会わせないという強制力はあるのか聞かれたからないと答えた。会っちゃダメとは言えない。父にどういう理由で話しているか、粘り強く説得してますか?お父さんのところへ行って、お母さんの認知症が進んでいて戻すのは無理と説明しては?最終的に家族の話し合い」とのことだった。

③『まるよしクリニック』事務長からの「そよかぜに1月11日までおいてほしい」という純子に対する返事

④『華畑ハウス』に相談、1月8日からは無理との返答

⑤長男太一と純子のやり取り、以後介護をしないという太一のこたえ(これ以後は純子配偶者を純子の代理人としてやり取りをすすめることになった)

平成31年1月8日

①12:50、純子が『そよかぜ』に淑子を迎えに行き、荷物を引き取り、『グループホームレモン』に移動した。淑子は始終明るく、天真爛漫な様子だったが、「きんちょうしちゃう」と話していた。

【2018年12月31日~1月4日 純子の記録②】

【2018年12月26日~ 純子の記録①】

 

 

平成30年

12月31日(月)

10:00より『そよかぜ』にて純子が契約行為を行った。また、その際に現在『華畑ハウス』の申し込みをしていること等を説明したうえで、今後の淑子のを相談したところ、「次の施設が決まるまでなら、系列の『グループホームレモン』入所しても良い、との返事をもらった。 また、昨日の父の電話でのやり取り、及び警察署生活安全課とのやり取りを『そよかぜ』に伝えた。また、見舞いの為あとからやってきた太一にも同様の内容を伝えたが「ほんとに会わせちゃダメなのか、俺は聞いてない」等、何度も繰り返された。

 

 12:00より淑子を連れて、純子の自宅に外泊。淑子は「静岡の家は多分ないけど見てみたい。誰もいない。一人なの」との発言有。千葉に嫁に来た記憶はすっぽり抜け落ちていた。子ども3人の名前はどうにかつながる感じ。丁寧に接したところ、次第に落ち着き、楽しそうに笑い、よく食べよく寝ていた。偶然、父の写真を見た時は不穏になったが、“写真であり側にいない”と繰り返し伝えると落ち着いた。

 父から純子自宅に頻繁な入電あり。電話は受けなかった。(以降、純子携帯と自宅は父からの着信拒否にしてある)

 

平成31年

1月1日(火)

淑子の状態はますます落ち着き、TVを見ながら孫との世間話を楽しんだ。14:00に『そよかぜ』に送っていったが、落ち着いて純子と別れた。

18:00『そよかぜ』管理者野原氏から純子に入電あり。13:00ころ、施設の周りを父がうろついていたので、職員が声をかけたところ「淑子はどこですか?」と聞いたとのこと。職員は「娘さんのところへ行きました」と返事をし、立ち去るのを確認したとのことであった。

 

平成31年

1月3日(水)

11:00、父が『そよかぜ』の周囲をうろついた後チャイムを押し「淑子に会わせてください」と職員に伝えた。職員が「淑子さんはここにいません」というと泣き始めたため、落ち着いた様子を確認して帰るように促したとのこと。淑子は職員と外食とお詣りをしていて不在だった。

(1月4日に純子がそよかぜ来所の時、報告を受けた)

平成31年

1月4日(金)

8:15~9:00、純子が市高齢福祉課大田係長と面会相談を行った。

(経緯をまとめた資料持参:下記参照)

・資料を見ながら、状況を共有した。市役所高齢福祉課に報告は上がっていなかった様子。詳細に状況をインテークしていただいた。

介護保険証を純子住所に郵送する手続きを行った。

・K養護老人ホームで緊急処置としてショートステイ対応は可能。

・GHの入所優先順位は施設側の選定順。

・大田係長より、地域包括支援センターに父の見守りの打診をしたが明確な返事はなし。

「当然するでしょう」とのこと。

・今後も相談を行いたい旨、純子が挨拶

 

9:00~純子がA郵便局にて北山淑子通帳の印鑑変更方法と定額貯金を普通預金に移す方法を伺う。どうしても元の印鑑が無いと変更できないとの説明をうけ、父に入電。印鑑の受け渡しは直ぐ了承したが「いつお母さんに会える?」と執拗に繰り返した。

9:40、実家を訪問して印鑑を受け取る。「いつ会えるんだ、いつ来るんだ、どうしてみんな教えてくれないんだ」と執拗に繰り返す。父の顔色はよく、消耗もしていなかった。

10:00~11:00、純子が『グループホームレモン』の見学と契約を行う。1/8からハーモニーに移る計画となった。

11:17、かかりつけ病院に、診断書と診療情報提供書を依頼した。

11:20、『そよかぜ』に純子が淑子を迎えに行き、H郵便局にて印鑑変更手続き等を行った。

12:00、『そよかぜ』に純子が淑子を送ると、太一が来た。別室にて「どうしても父に母を合わせられないのか?」と繰り返し純子に尋ねる。その時間20分。12月31日に行った説明を純子が再度繰り返した。

16:00、『華畑ハウス』管理者から純子に入電。体験入所の打診、1/5,16:00、『そよかぜ』で事前調査の予定になった。

   

 

 

【市高齢福祉課持参文書】

 

 ○○市高齢福祉課さま

                  平成31年1月4日

                  次女 ○○ 純子

 

 

    北山淑子の安全確保とGH入居協力のお願い

 

 

本  人:北山淑子(昭和Z年7月Z日生まれ:80歳)

住  所:市内〒000-0000 住所

家族構成:

同 居 者:北山 太平(夫)昭和X年11月X日生まれ:81歳

別居の家族:北山 太一(長男)、〒000-0000 住所   

      〇〇百合子(長女)、〒000-0000 住所   

      〇〇 純子(次女)、〒000-0000 住所 

 

主 訴:①北山淑子のグループホーム入居に行政の協力を得たい。

    ②本人の身体精神面の安全の為、介護保険証を自宅郵送しないでほしい。

 

本人の希望:認知症を患ってはいるが、①12月20日、父からの暴力からのSOSを訴え自ら110番通報した②12月26日、長女百合子に繰り返し「家に帰りたくない、二度と顔を見たくない」と訴えた。①②から、暴力が日常的に行われていて自宅に戻りたくないという本人意思が確認できる。

 

次女の希望:淑子が強く安全な生活を求めていることから、淑子の希望を支援していきたい。

また、介護福祉士社会福祉士(専門職成年後見人)、精神保健福祉士公認心理師(登録中)の立場からも、淑子が安全安心な場所ではBPSDが出ず、認知症症状も激減することから、本人の身体と精神の健康を守り人権を擁護するため、認知症対応を行うグループホーム入所を支援したい。(基本的に他の兄弟も同意である)

 

簡単な経緯:北山淑子は23歳で北山父と結婚した。結婚当初から父から家族への暴力や暴言は日常的に行われていた。約25年前に子供達が独立してからは、子供達との交流は途切れ始め、近頃は交流が殆んどない状態で二人暮らしをしていた。

平成30年春頃からは、淑子の認知症進行も伴い、淑子は父から激しい暴力を受けるようになっていた。12月4日には地域包括支援センターに次女・純子が高齢者虐待通報、12月20日には淑子本人が110番通報を行い、淑子は自宅を離れた。

現在は小規模多機能型居宅介護施設そよかぜに泊まっている。