【母は元気に暮らしています】
2019年1月11日、母は無事『グループホーム花畑』に入所しました。
花いっぱいの、園芸療法をする、熱心な素敵な施設です。
母はすぐ大好きになり、元気いっぱいになりました。
入所当初は警察署も色々心配していたけれど、施設だからと安心していました。
内容証明に対して兄は無反応でした。
とことん私が嫌いになったと思います。
後悔はしてません。いざとなったら裁判もします。
実は、花畑は実家最寄り駅すぐそばです。
徒歩30分圏内です。
「もしかしたら、そよかぜにしたように父がストーキングするのではないか?」
と危惧していましたが、父は自分で花畑に来ることはありませんでした。
父は来なかったけど、友人知人を花畑に訪問させました。
施設から相談がありましたが、一切「そういう人はいない」で通してもらいました。
ここ5年の母は、訪問した友人知人に虐めらえていると気に病んでいました。
たぶん認知症からおかしな行動をとり、色んなことを言われたのだと思います。
もちろん、その方たちに非はありません。
でも母は私と姉を覚えていられるのがやっとの状態なのです。
父に居場所を知らせる危険、母の病状を触れ回られる危険。
私は母が楽しめない交流なら必要ないと判断しました。
そうこうしながらも、5月、偶然に父は歯医者で母に会いました。
職員から聞きました。
かなりの至近距離で父の顔を見た母は、一切動揺することなく、全く父が分からなかったそうです。
父は職員に名を名乗りながらも、そのまま歯医者を後にしたそうです。
それ以来、父は母を追いかけなくなりました。
なんだか拍子抜けですか、安心ではあります。
「お前の愛情はそんなもんか?愛する女が認知症になったら要らなくなったんか!」
と私は怒鳴ってやりたい気持ちもありますが、そんなものなのでしょう。
愛は不思議です。色んな愛のカタチがあります。
母はずっと静岡の話をしています。
6月、姉は無理をおして母を静岡に連れていきました。
私は内心心配していましたが、私だけの母ではありません。
姉の好きなようにと思いました。姉も看護師で助産師です。医療面の面倒は完璧ですし。
静岡についた母は「ここが私の実家?」と繰り返していたそうです。
大好きな静岡銀行の話をして、かわいがってた姪に会って嬉しがっていても、叔父や親せきが死んだ話を聞いて「もう帰る」と言って怒ったそうです。
行きたがっていた富士山にいくのも拒み、「早く帰りたい!」と言っていたと姉が伝えてきました。
母の行きたかった静岡の実家は、きっと母の心の中にしかなかったんでしょう。
今も変わらずあればいいな、と思います。母の心に幸せな場所がそのまま。
父に対する思いも日に日に変わっているようで、
「夫はいたけど、悪いことしたから一人で山にいる」
「夫は山にいる。この間会いに行った。山のくらい洞穴に住んでるんだよ。あそこ(花畑)にいていい?と訊いたらお前はそこに行けって言ってくれた。泣いてたけど知らない。一人で畑してるから大丈夫でしょ。だって私は山で暮らしたくないもん」
「顔がね、どうしても思い出せないの。おもいだしたいようなきもするんだけどね…」
外出先や、不安になった時、夫の存在を思い出すようです。
母の言う山には、昔の楽しい思い出や、父という存在などが押し込まれてるブラックホールのようです。母がそれで安心するのなら、私も母が処理出来ない複雑な思いは富士山に預けておきたいと思ってます。
母にとって夫は「外的や不安から守ってくれる人」だったのかなと思います。
守ってくれるから、暴力も怒声も我慢していたのかなと。
母の中にも夫に対する思いはあって、それは悪い思い出だけじゃなく、いい思い出もあるのでしょう。それは素敵な事です。そっとしておきたいと思っています。
ただ、父には母の病気を理解することができず、父は暴力を振るうから一緒にさせられない。それだけのことなのです。
どうやら、今の母にとっては、私が夫の代わりのようです。
母が望むように。私の希望はそれだけです。
そのためなら鬼でも蛇にもなります。
そのくらいの力と覚悟はあります。
残念ながら笑笑。
花畑に入所してからも多少は色々ありますが、Twitterで見てくれている人は心配してくれてると思いますが、出来る限り、このまま、母が居たい花畑で、大切にされながら暮らすことを、私なりに応援していきたいと思います。
6月13日から約2か月半、つたない文章にお付き合いくださりまして誠にありがとうございました。
また時々書きに来ます。
書けて良かったです。
今後ともよろしくお願いします。